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岡平健治辞典|単語ページ
【岡平健治】
■読み方
オカヒラケンジ

■ジャンル
人物

■説明文
★生年月日:1979年 3月 28日
★出身地:広島県呉市
★血液型:B

■経歴
子供の頃から多くのオーディションに参加し、数々の受賞。高校時代、中国放送でラジオ番組の準レギュラー。そして、高校時代から路上ライブの活動を行い、1996年、高校3年の夏にティーンズミュージックフェスティバルで岩瀬敬吾と知り合い、1998年春に広島から大阪でのライブ活動を経て上京し「少年フレンド」というユニット名で活動を開始。それぞれアコースティック・ギターを持ち、高円寺や下北沢でそれぞれの作詞作曲である楽曲をライブハウスやストリートで歌っていた。
そこで出会ったのが326さん。1998年11月に「19」を結成。11月21日に「あの青をこえて」でデビューし、1999年には「あの紙ヒコーキ くもり空わって」でNHK紅白歌合戦へ出場。2000年には5thシングル「水・陸・そら、無限大」がシドニーオリンピック日本代表選手団公式応援ソングとして採用。この曲で同年二度目の紅白出場を果たす。
2001年に千葉貴俊、飲み会で偶然相席して出会った玉越理寛とロックバンド「3B LAB.☆」を結成。2002年3月に19を解散してからは本格的に3B LAB.☆での活動を開始した。2005年には新メンバーであるSHOJIと畝沖修司に出会い、改めて5人になり「3B LAB.☆S」に改名して活動。また、岡平はテレビドラマ「こちら本池上署5」に出演し、俳優デビュー。2006年6月末にSHOJIが卒業。以後3B LAB.☆Sは4人で活動。
2007年のライブツアー「光」において、11月21日、彼のメジャーデビュー10周年を迎えるにあたって、もう一度原点に戻り3B LAB.☆Sの活動を一時休止してソロデビューライブを行うと発表。そこから、ギター一本キーボード一台というシンプルなスタイルで、自ら車(ホワイトボンバーと名付けている)で、全国47都道府県自走ツアー2007→2008ライブ

■歴史10年間
【1997年】路上ライブを行ないながら広島から大阪へ出る。少年フレンドとして「以心伝心」デモ・レコーディング。
【1998年】少年フレンドとして主に下北沢で活動後、19(ジューク)として「あの青をこえて」でデビュー。
【1999年】キャンペーンで全国を回り、ファンクラブ発足。初1st Album「音楽」発売、初のツアーと共に学園祭等、全国を巡る。紅白歌合戦に初出場。
【2000年】1stビデオ「西暦前進2000年→大爆進映像」、2ndアルバム「無限大」など数多くの曲を生み、オリンピックで「水・陸・そら、無限大」がテーマ曲になり紅白歌合戦出演など日本中に多くの感動を伝える。
【2001年】ラジオ、テレビ、シングルリリース、ツアー「19少年漂流紀」等の活動をし、日本武道館でのライブをする。
【2002年】2月9日、19(ジューク)解散を発表。ラストシングル「蒲公英-たんぽぽ-」をリリース。11月21日、mini album『3B LAB.☆』で「3B LAB.☆」としてデビュー。
【2003年】1stシングル「一期一会」で本格的に活動を開始。その後、「プレゼント」や「星の砂」など名曲を世に出してゆく。
【2004年】「青春謳歌」「嗚呼初」などのシングルと共にアルバムをリリースし、ツアーも重ね、3ピースバンドとして活動してゆく。
【2005年】9月11日、日比谷野外LIVEにて『3B LAB.☆S』と改名し活動を行なう。ドラマ「こちら本池上署5」に出演。俳優デビュー。
【2006年】シングル・アルバムリリース、WEB RADIOやライブ、様々なイベント活動等を行なう。
【2007年】3B LAB.☆Sとして、健治さん自身最高の曲を創りながら、ライブツアーを行う。ソロ活動を発表。
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